「それでも君が望むなら~」おお! 景色が変わった。 彼の音楽性は、そのインタビューにもよく現れています(1998年「レコード・コレクターズ」): 「僕が好きだったのは キンクスとか ゾンビーズとか」 「ハーモニーにしても、 ビートルズの4度ハーモニーであるとか、主旋律が一番薄くてハーモニーが出てくるような音楽が好きだったんですよ」 「 VOXの マーク6を弾いてたのは、 フェンダーの抜けのいい乾いたサウンドが好きじゃなかったから」 「友達が買ってきてくれた ファズの使い方がよくわからなくて、< サティスファクション>だけ何度もやってました」 「とにかく人より早くやるいうのがテーマだったんですよね」 そんな「最先端」を走っていたムッシュも、亡くなってしまいました(2017年3月1日78歳没)。
もっとしかしムッシュはそれらの歌謡メロディーによって、ロック的でありたい自分の存在感を否定されたと思った。 優しいんですよ。 『エッジイな男ムッシュかまやつ』(リットーミュージック)を僕と共著した中村俊夫が教えてくれた。
もっとスパイダースはそれに先がけ、66年9月の「夕陽が泣いている」67年7月の「風が泣いている」の2大浜口庫之助曲でそれぞれ大ヒットを飛ばした。 」 本当に、しみじみと・・・・。 欠くいう私も、そのうちの1人ではあります。
もっと険悪な人も数人いたので、問題を未然に防げて良かったとも思います。 67年のロックファンを魅了した「キープ・ミー・ハンギング・オン」の大ヒットは、ツェッペリンなどのハードロックの台頭を予言する最重要曲。
もっと『未来はパール』など約10枚のアルバムを発表。 「その頃の僕は老いぼれだった、今の僕はずっと若い」と歌う。 結婚が早かった時代とはいえ、あの時僕は若かった、と歌うには十分に早い。
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